This Category : 初めての妊娠~流産

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


たくさんの励まし

初めての妊娠で、うれしくてうれしくて早くみんなに伝えたくて、
時期を待たずに8週ごろには家族や友人に伝えてしまってました。

子供を持つことをまだ考えてなかった頃の私は、昔、ひとりの知人から
「流産したことがる」と言われたことがありました。
そのときは、彼女のためにどんな言葉をかければいいのか分からず、
結局最後まで私は、ふさわしい言葉を見つけることができませんでした。
自分の無力さやその歯がゆさが残ったことは、今も憶えています。

それを思い出すと、みんなはきっと私のために何と言っていいのか
分からないだろうなと考えていました。
自分が流産したことを周りの人に伝えなければいけなかったとき、
聞く側のことを考えると、どんなふうに伝えるのがいいのか分かりませんでした。
無理に笑顔をつくることはできなかったし、そうする必要もないと思いました。
ただ、起きてしまったこの出来事を、短めにさらりと伝えるようにしました。

子持ちでもそうでなくても、男女問わず、友人知人からたくさんの励ましをもらいました。
なかでも、「あなたの体が大事に至らなくて本当によかった」という言葉には
涙がたくさん出てきました。
私の心身状態や夫のことを気に掛けてくれた言葉というのは
本当にありがたいものでした。

逆に残念だったのが、意外にも実母と義母でした。
もちろんふたりとも私をとても心配してくれていたのですが、
「原因は何だったの?」、「次またがんばればいいじゃない」など、
それらの言葉は、私の心にグサグサと刺さるものでした。
そしてそれ以上の言葉を聞くことは、結局ありませんでした。
母だからこそ、という期待が私のどこかにあったから
余計にがっかりしてしまったのかもしれません。
もうひとつ、どうしても励ましの言葉として受け入れられなかったのは、「がんばって」でした。
今の私たちにこれ以上、何をがんばれというのでしょう?
がんばらなきゃいけないことなど、今は何一つないのに。
この人はどんなシーンでも「がんばってがんばって」が口癖のようなのですし、男性なので
深く気には留めてませんが、思い出すたび不快な気持ちになります。

ときに見知らぬ人と話の流れで、励ましの言葉をもらうことがありました。
知らぬ人だからこそ、何気ない言葉が心に響くことがあります。

今も、みんなからの励ましの言葉をよく思い出します。
夫とは、お互い気遣い支えあいながら、みんなからの励ましを思い出しながら
今もあの悲しみを少しずつ乗り越え続けてます。
大げさな言い方かもしれませんが、このたくさんの励ましは、
これからも私の人生のなかで大きな支えとなると思います。

スポンサーサイト
TrackBack : 0
Comment : 10


流産後の初めての生理

2005年8月中旬

紹介状の婦人科では、状況説明をしたところ、待合室は患者さんで
いっぱいなのにもかかわらず、待たずに診察してもらえました。

経膣超音波を使って内診したところ、右卵巣が少し腫れているとのこと。
これは生理前の排卵の時によく起こることだけど、
念のため数日後また診てもらうことに。
そして再診。結局は排卵によるものらしく、問題はないとのこと。

術後初めての生理がきました。それは、初日から強い生理痛とともに。
L先生より術後4週間~6週間ぐらいで生理が来るから、それが終わったら、
また子作り再開していいと言われました。日本だと2,3回みてからというのが
多いかと思います。
私たちはすぐに子作り再開という気分にはなれなかったですし、
また流産するかもしれないという恐怖が常に頭の中にあったので、
少し時間を置こうと決めてました。


2人の産婦人科医に診てもらって、どちらも順調に回復してるとの結果と、
生理も予定通り無事に来たことで、私の中で何か一区切りがつきました。
もちろん、悲しい気持ちは変わりませんし、たとえ変わらなくても時間は過ぎていくし、
少しずつこうやって、自分の中で区切りをつけていければいいと思えるようになりました。


TrackBack : 0
Comment : 0


日本で診察

2005年8月上旬

L先生は「特に問題はないから、術後の検診は必要ない」と言いましたが、
今後の自分の体のためにも、術後検診は受けとくべきだと思い、
せっかく日本に帰ってきてるのだからと、婦人科医を訪ねました。
一通りの事情を話した後、内診を受け、順調に回復してるとのこと。
その先生とは日本と北米の医療の違いについて、いろんな話をしました。
やっぱり日本語で医師と話をできるのはいい!と当たり前のことを、
ひどく感動してしまいました。

そしてもうひとつ診察を受けようと思ってました。
それは精神科です。四六時中どこにいても、ふっと涙があふれ出てきてしまい、
なかなか眠れない夜がたまにありました。
自分でも、これは一時期のものと分かってましたが、
せっかく日本にいるのだからと思い受診を考えてました。
でも、どこの病院にいっていいのか分からず、思いついたのが以前、
健康診断を受けたことのあった精神科のある総合病院へ予約を入れてみました。

出てきたのは、一見とても神経質そうな先生でした。
私の生い立ちから家族構成など、私に関するあらゆる細かいことを
問診し、そして現在の状況を診断してくれました。
「場所を問わず涙が出てきてしまうのは、今はしょうがないことですよ。
あなたはお子さんを亡くされたわけですから。」と言われたとき、
そこで初めて”流産とは”ということを実感したように思います。
私は「この子は、いつかまた私のお腹に戻ってきてくれる」とそれまで固く思ってました。
でも違うのです。この子の命は逝ってしまった、ということを
受け入れなければいけないと、先生のその言葉で認識しました。
それは、とてつもなく苦しい事実ですが、でもそれを受け入れる事が第一歩で、
それを受け入れなければ、私の中でいつまでもこの事は終わらないような気がしました。
そして、その先生は「この悲しみから癒えるまで1年、3年、
もしかしたら、ずっと抱えていかざるを得ないかもしれない。」とも言われ、
それだけ重大な経験をしてしまったんだとも実感しました。

最終的に、先生は短期間分の軽いお薬をくれ、診察が終了しました。
夫以外で、自分の精神的な深いところを吐き出せる場所がなかったため、
診察を受けてよかったと思いました。いい先生でしたし。
そしてこの先生、他の婦人科医の紹介状を無料で出してくれました!
「納得いくまで診てもらいなさい。」と。感謝です。
そして「滞在中、必要であればまた来なさいね」とも。
思い切って来てみてよかった!と、心が少し軽くなりました。

ここでの会計も民間保険会社に請求ができるので仮払い。
診察・処方箋で約¥13000でした。

そして、その足で上階にある有名な婦人科クリニックを訪ねました。


TrackBack : 0
Comment : 0


長かったこの4日

2005年7月下旬

出血が始まってから手術を終えるまでの4日間は、今までの私の人生の中で
一番長かった4日間です。それは、夫も同じことを言ってます。

L先生の指示の通り、2日間はベッドで安静をとってました。
家事や買い物などは全て夫がやってくれ、義母や友人が見舞いに来てくれ、
3日目からは少しずつ体を動かし始めました。
とくに術後に抗生物質は飲まなくていいとのことで、
痛み止めだけ処方されましたが、それも1度飲んだだけでした。
出血は2週間ほど続きました。最初は鮮血が生理2日目並みでしたが、
徐々に量は減っていきました。

日本への帰国は予定を変更せずに行きました。
術後なんと5日目ほどでしたが、私はとにかく、ここバンクーバーではない
どこかにエスケープしたくて仕方ありませんでした。
しかし日本の夏の暑さはさすがに私の体にはこたえました。
流産経験のある年配の方に、「今、しっかり体を休めないと後でひびくわよ」
と言ってもらい、そうすべきだと思い、せっかく帰省したものの
気分も沈んでたので今回はあまり人と会わず、心身を休めるようにしてました。


TrackBack : 0
Comment : 0


長い4日間:4日目

2005年7月13日(11週)

D&C(ソウハ手術)は、午後3時から始まるので1時にUBC病院に
チェックインするようにとのこと。
当日は、朝から水以外は口にせず、空腹のままにしておくことということでした。

UBCは夫が通った大学。まさかこんな用事で母校に戻ってくるとは、
彼は思っても見なかったと思います。
チェックインを済ませ、日帰り入院用の部屋へ案内されました。
ロッカーが用意されていて、そこで病院で用意されている
寝巻きのようなものに着替え、ベッドへ案内されました。
3時の手術までの間、再度、問診を受けたり点滴を受け、いよいよ手術室へ。

私は今まで、全身麻酔をしたこと無ければ、一度も手術を受けたこともも
ありませんでしたので、手術直前になって手術への不安や恐怖が襲ってきました。
そして運ばれた先への手術室へは、もちろん夫なしでした。
そこでは麻酔師によっての細かい問診があり、医学用語だらけの質問で、
私は知らない単語が出てくるたびその都度、質問しながら麻酔師とやりとりをしました。
たった20分の手術のことですが(手術といっても内容物摘出だけですが)、
今思えば通訳なしでよく一人でやりとりしたもんだと怖くなるときがあります。

麻酔で眠ってる間は30分ほどと言われました。
私の両親は麻酔に弱いというか、かかりやすいという旨を伝えました。
そして手術後、目を開けたとたん、私のベッドのまわりにたくさんの看護師さんと
麻酔師の方が心配そうに私の顔を覗き込んるのが目に入りました。それもそのはず。
目が覚めたのは手術後の約2時間後でしたから。

私が眠っている間、主治医のL先生は夫に、手術の結果と今後のことを
話してくれており、病室で少し休んだ後、自宅へ帰っていいとのことでした。
私の頭は麻酔ですっきりしないくて、強い睡眠薬でも飲んだかのようでした。
それは、翌朝まで続きました。全身麻酔とはこうゆうものなんでしょうか?
それとも小柄なアジア人には強すぎた麻酔だったんでしょうか。

この日は夫の誕生日でした。
彼には流産というつらい思いをさせた上、誕生日の日に手術を受け、
きっと毎年、彼の誕生日を迎える度に私たちはこの悲しみを思い出すのだろうと思うと、
彼には本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。

手術費合計、約$1500。

TrackBack : 0
Comment : 4


カレンダー(月別)

05 ≪│2017/06│≫ 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -

最新の記事

カテゴリー

プロフィール

Chico

Author:Chico
カナダBC州在住36歳のフルタイムママです。2006年夏生まれの長男(チビ)、2008年春生まれの長女(べべ)、夫の4人暮らし。カナダ生活も気がつけば5年となりましたが、今も新しい発見の日々。

コメント、メール大歓迎です☆

ブログランキング

クリックお願いします☆

FC2Blog Ranking

最近のコメント

Vancouver

リンク☆BLOG

リンク☆お気に入り

Illustration by ふわふわ。り ・・・ Designed by サリイ
Copyright © Chico's Journal All Rights reserved  /  
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。